2017/02/23

3年

久しぶりの投稿。

先日、メキシコに住み始めてから3年を迎えた。あっという間に経ったような気がするけれど、寝返りを打つのがようやっとだった姪っ子が走り回り、日本語を操ってコミュニケーションを取れるようになっているのを見たりすると、3年といえど侮れない期間だと思い知らされる。

最近はこちらの暮らしの様子を記すブログよりも、Tシャツプロジェクトや制作のことを記録する用のブログの方への投稿が多くなってきている。暮らしの中での発見や、驚きが減ってきているのかもしれない。

それがいいことなのか、悪いことなのかはよくわからない。暮らしに慣れてきて、オアハカが自分の暮らしのベースとして機能し始めていると考えればもちろんそれはいいことだし、何を見ても感動しないというのであればマンネリ化してきたと取ることもできる。

もちろん、目が慣れたのは事実だ。以前はひっくり返るほどびっくりしたり驚いたりいちいちツッコんでいたことが、普通に見えてきていることもある。

例えば、この間画材屋さんのレジに並んでいた時のこと。客は私ひとり。それなのにレジにいるおばちゃんは熱心に携帯の画面を眺めていた。「早くしてほしいなぁ」と思ったけど、やたら真剣な顔つきなのでおばちゃんの携帯の画面を覗いて見ると、びっしりとハートの絵文字まみれのメッセージを今まさに送ろうとしているところだった。ハートが20個くらい連打された後に、ペロリと舌を出した絵文字を入れるかどうかで悩んでいたようだ。それを見て、あははと脱力して「それ、旦那さんへ送るの?」と聞くと、「そうなの」と言ってうふふと笑っていた。

日本では、多分、ありえないと思う。(しかしこういうのが日常茶飯事なので、日本もこれくらいしてたっけな?とかたまに思う。2分くらいじっくり考えると、いやー、ないないない、と慌ててこれがデフォルトではないことを認識する。)

そう、時は流れているのだ。

できないことも、知らないことも、まだまだ無限にある。そして今はそれらを全て知ることができないことも理解している。でも、全てに対していちいちひっくり返るようなリアクションは取らなくなっている。では、何が変わったのだろうか。

私が思うに、一般的な驚きの濃度が薄まってきたのだと思う。濃度が薄まったのは、外からの目線できゃっきゃっと見ていた視点から、中に入りながら内外の目線を使って見るという視点にシフトされて行ったのかもしれない。その反面で、興味の方向が狭まってきているのを実感している。興味のある分野へ頭を突っ込みたいと思っている。

より深くみたい。

という純粋な好奇心がある。

駅のベンチに腰を下ろして全体的な人の流れを見ていたら、その中にものすごく変な人がいて目が離せなくなった。その人は毎日いて、いつも気になる。勝手にその人のバックグラウンドを想像したりストーリーを作り上げて自分の中でそれを楽しんでいた。でもある日、ついて行ってみたくなった。そんな感じだと思う。そんなのは放っておけばなんてことはない、だけど、放っておけない。それは、それ以上でもそれ以下でもないいたって単純な好奇心。

もともと飽きっぽい性格や執着心にかけるので、今の生活にしがみつく気力が薄れてきている気がする。それを手放すのは怖いしもちろん一番には経済的な不安がある。いい時期を自分で見計らって線引きをできたら良いのだけど、それができない不器用さ(そう、それは私の武器であり、私を困らせる悲しい素質でもある)がいつも壁に打ち当たらせる。

この間、日本人の男の子2人と半日ブラブラと遊んだ。留学中の男の子と、その子が呼び寄せた友達の男の子である。2人とも22歳で、めちゃくちゃあほだった(最大の褒め言葉としての)。2人でビーチではしゃぎまくり、マンゴーを食べまくった話をしてくれて、ビーチで出会った様々な(奇人変)人のことを教えてくれて、その後に控えた旅のビジョンを語ってくれた。いい友達がいて、わくわくしていて、あほだった。年下の子を応援したくなるのって、こういうことなのかなと思った。自分もまだまだ途上中でアドバイスをできるような立場ではないけど、「めっちゃアツイな!!」と言いながらキキキとにやけている少年のような青年たちの話聞いていると、自分も面白いことをしないとだめだなと気持ちを新たにさせられた。アンリミットな2人を見て、私も壁にぶち当たっている場合じゃないなと思う。2人は今ごろアメリカで他の友達3人と合流して、オアハカでジャケ買いしたCDを爆音で聴いているのだろう。

備忘録として。

2016/09/18

平成の大改修

9月に入り、仕事の繁忙期が過ぎたので隔週で土曜日が休みになった。今日はその休みである。

せっかく休みなのでどこかに行こうかな、とも考えたのだが、


「土曜日の朝8時にセニョールに向かわせる」

と言われていたのを思い出した。そう、そのセニョールとは電気関係や水道関連を直してくれるセニョールである。

この間、また電球が切れて、変えても変えてもすぐキレる個の電球はいったい何なのだ、そして、何か月も前にお願いした水漏れの修理に大家が全く対応してくれていないことを上司にぼやいたのが始まりだった。

「じゃあ、信頼して世話になっている建築家に連絡して、セニョールを向かわせる」

ということになり、速攻連絡を取ってもらい、あれよあれよと土曜日の8時に来ることになってしまった。こういう対応のスピーディさには本当いつもたまげる。何も起こらない時は本当に何も起こらないのに、ことが進みだすと嘘のようにとんとんと進むのがメヒコである。

土曜日の8時にセニョールが来て、どこを直せばいいのか、そしていくらかかるかを見積もってもらうという話だった。2か月間大家が留守にしているので、かかった費用を家賃から引いてお手伝いさんに支払おうという考えである。いちいちお伺いを立てていては一生直らんだろうと思ったので、もういない今がチャンスと思ったのだ。

セニョールが来て、

「ここが悪いんだ、そういえばここも、ああ、ついでにこれも気になっててさ」

と気になっているところを次々に説明し、いつ直そうかという話になった時に、「今からでもいい」というのでそうしてもらうことにした。シャワーを直すためには水栓を閉めないといけなかったのだが、その栓が見つからず、大家さんが住んでいる2階部分にも上がったけど見つからず、そういうのを見るにつけ、この住宅のつぎはぎ感が浮き彫りになってきてちょっとホープレスな感じがした。こんなところに住んでるのかよ、あたし……。

気を取り直して家の近所に材料を買いに行き、家に戻ってきて直し、次ははしごを取りに行った。私の家は天井がものすごく高いので、部屋の実際の広さ以上に広く感じるのでそこが気に入っているのだが、電球が切れるたびに長いはしごがないと変えられないのが難点である。しかも謎の病のように、すぐに電球が切れるのである。

一度大家に訴えたけど、「そんなもんだよ」とさらりと流されてしまった。箱に7000時間長持ち、とか書いてある電球がすぐに切れたから、そんなわけないやろう、と思ったけど彼に直す、あるいは原因を調べる意思がないのは明らかだった。

はしごを調達してきたセニョールは電球をソケットごと外しソケットを見せてくれた。どうやら老朽化が進んでいたらしく、ケーブルが何本かちぎれていたので電流がうまく送れていなかったので、電球に負担がかかっていたのだそうだ。

再び材料を買いにセニョールと出かけて、帰ってきてソケットをチェックして作業が順調に進みだすのかと思いきや、「ねじの長さが足りねえ」ということになり、「買いに行ってくる」と出かけて行った。この途中で材料を買いに何度も出かける感じ、デジャブかと思ったけどきっとこれがデフォルトなのだ。もはや動じない私。

かれこれ、1時間は立つと思うのだがまだ帰ってこない……。セニョールよ、いったいどこまで行ったのだ。たぶん、昼ごはんでも食べに行ったような気がするな。

うむ、そうに違いない。

私もおなかがすいたのでシリアルやブドウを食べて時間をつぶし、腹を満たした。しかしまだ帰ってくる気配がなく、この備忘録を書くにいたっている。

か、書き終わってしまう……よ。

8時半に始まったこの冒険は、今もう夕方の4時半を迎えようとしている。たぶん、今日中には終わると思うけど……。というわけで、連休の遠出計画は水の泡と消えた。でも、生活の困っていることが解決するなら、ほんま今日費やした時間は無駄にはなるまい。

お、人の声がする。もしやセニョールが帰って来たのか……?!?!


2016/08/23

ライフライン、電気・ガス・水道

定期的に訪れる様々な問題、例えばガス切れ、例えば停電、例えば熱いお湯が出ないなど、メヒコは、ライフラインがもろいなとよく感じる。そして、そのたびにたくましく乗り越え、サバイバル力をアップさせているメヒコの暮らしである。こんな話を書くたびに、「生活を大切にしたい」というあの決意が何の冗談かと思えてくる。悲しい。この一言に尽きる。

さて、今回のライフラインの喪失は「水道」である。

この間、やけに水があふれていると思ったら、水道使用量をはかるメーターの部分が盗まれたらしい。その部分がないと水が供給されないらしく、今新しく買い替えているとのこと。買い換えた後装着しても水がすぐに戻ってくるかどうかはわからない、と何とも不可解な説明を受けたが、最後に付け加えられたのは、

「だから、週末は水を極力大事に使ってほしい」

とのことだった。その教えを守りながら週末を過ごしたけど、日曜日の朝には水が出なくなってしまった。地下に貯蓄してあるので、汲みあげポンプのボタンを押しに行ったが、すぐに大家さんが下りてきて汲みあげる水がないからやめてくれとのこと。

そして、水が回復しないまま週末が過ぎ、汚い髪の毛で迎えた新しい月曜日。大家さんからは音沙汰がないのでこちらから様子を聞いておこうと思いメールをすると、いろいろな説明のメールが届き、大事なところだけ言うと、

「水曜日までは水が回復しない」

という。まじで言ってんのか。

てんこ盛りの洗い物と洗濯物が頭をよぎり、そして何より心配になったのは風呂のこと。そして、昨日は水が止まってからは近くの図書館までトイレを借りに行ったりしてしのいでいたけど、これから数日間ずっとそれを続けるのは不可能である。

今まで、電気がなくなったりガスがなくなったりするたびに「不便さ」を痛感していたけど、今回はライフラインのどれが一番堪えるかということについて考えさせられた。

今なら「水」と即答できる。

本当に人の生活は水に頼って成り立っているんだなぁ、というのを痛感した。あったかいお湯がないどころの話ではない。

電気がなければろうそくをたくなり、早く寝ればいい。ガスがなければ外に食べてすませばいい。でも、水がなくなったら人はこんなにも困るのだな、という当たり前のことを身をもって実感した。

大家さんの仕事のオフィスが道路を挟んだ向かいにあり、大家さんは「そこで体を洗ったらいい」と言ってくれたので甘えることにしたが、いざ行ってみるといわゆるバニョ(トイレ)に案内された。

きれいに掃除されてあるとはいえ、ば、ばにょですやん!!!

シャワーも何もない便器があって、大きめのシンクがある、いわゆるトイレである。え?!と二度見したけど、これが今日のバニョである。もちろんお湯など出るわけもなく、バケツに水をためて使うのである。

トイレで水風呂か……。

もはや寒いとか冷たいとか言っている場合ではなく、それよりも水で体の汚れを洗い流せたことが本当に気持ちいいなあと感じた。

蛇口をひねれば飲むことができるようなきれいな水がものすごい水圧で出てくる日本、もはや奇跡。温度調節もボタンでピピピっとできてしまうなんて、夢のまた夢の話。

家の風呂がだめになったり入れなくなっても「銭湯がある」という日本の安心感。あらためて、水の豊富な国なのだなぁと思い知った。そして、家の中の水を確保するために、バケツに水を汲んで家とオフィスを何往復もしてすっかり疲れてしまった。

いろんなものを失ってはじめて、持っているものの大切や価値を心の底から大事なと感じるけど、今回の水は本当にありがたさを心の底から感じている。

大家さんは「水曜日には」とか言っているけど、ひそかに今週一週間くらいは明間まなんちゃうか……と怪しんでいる。

嗚呼、メヒコ。どうしてお前はそうなのだ。

2016/08/07

Ni modo, así es la vida.

「つらい仕事じゃないですか?」

この間、私が働いている語学学校に短期留学に来ていた大学生の女の子に言われた一言である。

毎週いろいろな人が世界中からやってきて、毎週たくさんの人が国に帰ったり次の目的地に向かって旅立っていく。私の職場は常に出会いと別れの繰り返しだ。当たり前だが、出会いの数だけ別れがある。

老若男女、国籍も年齢も違う人たちがやってくる。もう何度もこの街に来たことがある人もいれば、初めての人もいる。海外に来ること自体が初めての人もいるし、すでに何か国語を操るような人もいる。そういうわけで、出会いの衝撃のほうが大きいので、別れのさみしさというものはあまり感じたことがなかった。

不思議と、さみしいという気持ちよりも、新しい出会いにワクワクする気持ちのほうがはるかに強く、そのとき別れ行く人からも、出会ってからそれまでたくさんの知らなかったことを教わったというありがたい気持ちのほうがいつも断然に大きい。だから、その点においては「つらい仕事だな」と感じたことはなかったので、この質問には正直驚いたのだ。

今までもいろんな場所に旅をして、知り合いができて、友達ができて、大好きな場所ができて、エキゾチックな味に出会って、忘れられない景色を目の前にして、それでもそこにいつまでもとどまることはできず、別れを繰り返してきた。

小さいときは、夏休みや冬休みにおばあちゃんの家に遊びに行って、いつも別れ際が悲しすぎて手を振りながら、電車に乗りながらよく泣いていた。また会えるとわかっているのにその都度の別れが異常に耐えがたいものに感じていたのだ。

そのころから比べたら、別れのたびに泣くようなことはなくなった。自分が大きくなったのもあるし、別れの数を経てきたのもあるし、会いたい気持ちがあればこれが今生の別れにはならないと思えるようになったからだと思う。技術の発達で昔よりも断然簡単に連絡も取れるようになったし、時間がないとかお金がないとかそういう言い訳をしなければ、飛行機のチケットを買っていきたい場所に行けばその会いたい人には会える。むしろ、旅の目的が「その人に会いに行くこと」だって珍しくない。

来週、この街に長くいた日本人の友達たちが立て続けに日本に帰っていく。1年以上いた子たちもいるし、この街が大好きになって一度離れたけどまた戻った子もいる。4人そろってごはんというのは、今回は今日が最後。だらだらと、何をそんなにしゃべることがあるのだろうかと思うくらい、どうでもいいことや、どうでもよくないことを話した。あっという間に時間が過ぎて、別れる時間になり声を掛け合うわけだが、本当に変な感じだった。

毎日一緒に過ごしたわけではないから、来週以降も会わない日でもまだこの街にいるような気がするんだろうな、と思った。またすぐに会えるという確信があり、「別れ際なのでとりあえず別れの言葉を言っておかないとな」と思いながら「ほんなら……」と言葉を探したけど、現実味もわかないので、結局同じ話を繰り返すという、日本人の別れ下手な感じを自分でも感じていた。

何事も永遠に同じには続かない、ということを知りながら、でも普段はそれを考えないようにしているから、今がそれを実感するときなのだ、と突きつけられても、信じられないという気持ちだけが渦巻くので、なんだかぐだぐだで、結局4人の口から出てくるのは

「Ni modo, así es la vida.」

という、メヒコ人が本当によく使うフレーズばかりである。

「しゃあないよな、それが人生だもんな」

決してネガティブな場合のみに使われるのではないのが、この言葉の持つ最大の魅力だと私は思っている。

例えば別れの時、別れたくない、ずっとこのままやったらいいのにな、でもそういうわけにはいかない。という矛盾した、整理するのが難しい気持ちが自分の中にあるとする。でも、それは「ni modo」、仕方のないこと。それぞれみんな次のステージがあり、いつまでもとどまることなどできないし、ある意味、とどまり続けることのほうが面白くない方に向かう恐れだってある。だから「así es la vida」、それが人生だという。つまり、いいことも、悪いこともすべてを受け入れることが大事だということである。

認めるというのは簡単そうで、実はなかなか難しいことだったりする。違いを認識したうえで、それを受け入れるというのはかなりの懐の深さを要求される。

メヒコに住んでいると、本当にこのフレーズを聞くのだ。関西弁の「しゃあないやん」にとても似ていて私はそれがものすごくすとんとなじむ。一応文句も言ってみるけどそのあとに「あぁあああ、でもしゃあないかーーー」と声に出し「ちゃう方法考えるわ」とポジティブな感情につなげられるのである。

日本人でも関西圏以外の人はこの「しゃあない」という感情を理解するのが難しいというのを他府県出身の日本人たちから聞いて驚いたことがあるので、「私はなんかメヒコになじむなぁ」と思っていたのは関西の気質と似ているというのも大きな理由かもしれない。関東では「仕方がない」というと決してポジティブにはならず、あきらめの気持ちしか伝わってこないのだそうだ。

今日会っていた友達の一人が「(スペイン語圏の)ドミニカとキューバではni modoは使われていなかった」と言っていたが、ただの方言なのではなくて、「しゃあないから、まあええか」というこの感覚自体がメヒコにしか存在しないのかもしれない。

メヒコに暮らしてこの国の「何か得体のしれない魅力」にはまっていっているのは否定のしようがないところだが、この得体のしれない何かは「包容力」なのではないかと最近では思っている。アミーゴの国とも形容されることもあるように、メヒコ人はすごく気さくに温かく受け入れてくれる。だからなのか、暮らしていて「不便だな」と感じることはあっても「暮らしにくいな」と感じることは不思議とないのだ。

住む年月が長くなるにつれて、やっぱり強くなる気持ちは「このへんてこりんな面白い国のことをもっとたくさんの人に知ってもらいたい」に尽きる、改めてそのことを考えていて、メヒコに長く留学していたあの友達たちも、みんなメヒコの包容力に包まれてこの国のとりこになっていたのを今日目の前にして、なんか「やっぱりそうなるよなぁ」とにやけてしまった。そして、来週の別れの週のことを信じられずにいる。備忘録までに。

2016/07/13

はげた話。

久しぶりにかなりのカルチャーショックを受けた。精神的なやつである。それは先週の月曜日のことで、今思い出しても思わず、うえええっとなりそうだ。

その日、職場に行くと同僚のアメリカ人がいなかった。そして他の同僚が言った。

「彼女は辞めたよ。もう来ないよ。」

と。土曜日の仕事終わりに辞表だか手紙だかよくわからないけど、何か一筆を残して去っていったそうだ。何故一番たくさん人が来る週に、それを知っておきながらそんなことができるのか……。「2 weeks notice」とか言う単語を聞いたことがあるけど、アメリカとかも仕事を辞めるときは最悪何週間か前に知らせて、後任とか引継ぎとかのめどを立てるのではないのか?!

いきなりドロンて、あなた、どういうことですか。

と、問うてみても本人はいない。理不尽さだけが渦巻き、彼女の仕事ぶりを振り返ってみたけど、よく上司に怒られていたよな、とか、何度も同じミスをしていたよな、とかマイナスなことばかりが思い出された。ただでさえ、彼女のできないところやダブルチェックをする役が回ってきていて負担が増えていたのに、欠員となると私は一体どうなるのだ、と目の前が暗くなり、背後で「後任希望の子がもしかすると8月下旬にはくるかもしれない」と話されているのが聞こえたが、まだ1か月以上も先のことだ。そんな暗雲立ち込める中で「彼女の仕事を全部引き受けるのはフェアではない」と思わず口をついて出てしまい、それで上司の怒りを買ってしまい、結局私がキレられるという何ともとほほな一日なのであった。必死でバックアップしてその日を乗り越えようとしているのに、なんだ、この結果は。理不尽さにはげそうである。

そして、奇跡的に(彼らに言わせてみれば簡単なことらしいのだが)、翌日には後任が見つかった。こんなに早く見つかるのならば、昨日あんなことを言うんじゃなかったと後味の悪い感じだけが自分の中に残った。

そして、ドロンした彼女はなんと次の仕事をちゃっかりと見つけていたという事実がわかり、唖然とした。なんてしたたかなやつなんだ。しかし、それよりも驚いたのは上司の口からさらりと出てきたこの言葉である。

「彼女は、いつもミスをしていて自分の力を発揮できていなかったからきっとハッピーじゃなかっただろう。彼女も新しい職場で活躍できればそれはいいことだし、それによって迷惑をこうむっていた私たちも困っていたからいなくなってちょうどいいじゃない。そして、我々も幸運なことに後任を見つけることができたから、みんなハッピーだな」

メヒコ生活が長くなってきて、まだまだ驚くことが飛び出てくる日々ではあるが、この発言と考え方には思わず閉口してしまった。ものすごいカルチャーショックである。

新しくやってきた同僚は、ものすごく朗らかでフレンドリーでドレッドヘアーが腰くらいまである紳士的な人で、一緒に働くのが楽しい。

そんな激動の平日を経て、週末は職場の同僚に誘われて彼女の村のお祭りを見に行った。


サングレデクリストというお祭りで、その村の踊り「ダンサデプルマ」という踊りが披露されていた。踊り手は村の青年で、3年ごとに変わるのだそう。この踊りは、頭に大きな飾りをしているのにもかかわらず、びっくりするくらいにぴょんこぴょんこと跳ね回るので迫力満点で、オアハカの数ある伝統的な踊りの中でも大好きなものなので、近くで見れて大興奮だった。

小さな女の子たちもちょこまかとめちゃくちゃ踊っていて感心した。友だちの解説をききながら見たので、踊り子ではないけど牛みたいなお面をつけたひょうきん者のおっちゃんたちの役割も聞くことができて、さらにお祭りを楽しむことができた。



そして、お祭りなので夜店や屋台もたくさん出ていて白マイケルとうれしい再会も果たすことができた。台湾で夜店で遊ぶことの楽しさに味を占めたので、今までは誰かが的に当ててから動き出すマイケルを見ていただけだったが、今回は自ら射的をしてみた。そして、台湾で鍛えた成果なのか、コツをつかめば結構簡単にマイケルの的に命中させることができたのだった。おかげで3回くらいマイケルを躍らせることができて爆笑だった。


そして、夜店の中には定番の移動遊園地もあった。「ドラゴン」という舟形の上下に揺れて最終的にはぐるんぐるんと回るというものが一番激しそうでおもしろそうだったので、すっかり調子に乗った私と友だちは乗船した。誘ってくれた同僚は、「やめとく」と乗らなかったが、それが正解だったかもしれない。

移動遊園地で働いているのは、いかにもその辺の兄ちゃんといった見てくれの人ばかりで、しかも機械の操作を1人が2~3個の機械の間を行ったり来たりしているのである。最初はぐるんぐるんと回って純粋に楽しかったのだが、やたらに回る時間が長い。(実際には、兄ちゃんがいないのでほったらかしというだけなのだ。)そしてようやく止まったと思ったら、いちばん上でストップした。もちろん隙間だらけのイスである。手で棒を握りしめて体がずり落ちないようにぐっと力を入れるのだが、1分、2分たっても機械が動き出す気配がなかった。向かいに座っていたメヒコ人の少し小太りの男の子の顔も、重力と自分の体重に引っ張られて顔がみるみる歪んでいくのが分かった。それと同時に、自分も同じなのだろうと確信した。そして、機械の電気がふっと消えた。

「お、終わった……」

本当に機械の故障かと思った。このまま放置で、体力がなくなってこの乗り物から落下するのだろう、と思った。たぶん、実際はそんなことないけど、体感時間にすれば10分以上は放置された心地である。そしてようやく、お兄ちゃんがてくてくと戻ってきてレバーを引くのが見えた。

ああ、これで降りられる、アディオス、と思ったのもつかの間。機械は逆回転を始め、みるみる速度を上げていく。もう、脳みそはめちゃくちゃである。のどもかれそうだし、気分も悪く、最悪乗り物に乗りながら吐くのではないかと思った。

そして頭にぐるぐると回ったのは、この間教えてもらったスペイン語のことわざ。

「好奇心が猫を殺す」

というやつだった。

それから何分間ぐるぐるやられたのかわからないが、ようやく、本当にようやく、地獄から解放され、その後は放心状態だった。しばらく休んでから最後のメインイベント、花火の打ち上げに向かった。


トリートと呼ばれる牛型の張子に回転花火や爆竹を仕掛けたものをもって音楽にあわせて踊ったり走ったりするものから始まり、最後はその名も「城」という巨大仕掛け花火という流れだった。


めちゃくちゃきれいで、花火が回転したり火を噴いたり日本では見ることができないものばかり、そして距離である。瞬く間に辺りはけむりまみれになり、これは軽い事故のようである。

でも、こんなに近くで花火を見られるのはものすごく興奮するので、思わず前へ前へと行きたくなってしまうのが人情というものだ。

「城」はとにかくすごかった。点火されてから、下の方にある仕掛けがぐるぐるとまわり、だんだんと上の方に登ってくるという大がかりな花火で、職人さんの技をいたるところに見ることができた。フィナーレに近づき、火薬の量もマックスで、あたりはもはや煙で真っ白。その中ひゅーっ、ひゅーっとさらにそら高く打ち上げ花火が上がった。

かと思うと、頭頂部が急に熱くなるのを感じた。反射的に手をやると、指にその熱さが伝わる。手を思わずのけて目で確認すると、軽い水ぶくれのようになっていた。

そう、火の粉が頭に降りかかっていたのである。ようやく理解をしてやばいやばいと頭の火の粉を振り払ったけど、時すでに遅しであった。

手から髪の毛が焦げたにおいがして、頭を触ると一部毛がなくなっていた。

そういうわけで、私ははげてしまった。頭頂部が。これはまさに、ザビエル。(いや、ザビエルほどの規模じゃないけど。)

幸い、1日たって頭を触ると坊主頭のような感触があるので、たぶん髪の毛はまた生えてくると思われるが、ちゃんと伸びるまではちょっとしたはげ状態が続くことになる。かろうじで正面から見ると分からないので、私よりも背の高い人が私の頭頂部を見下ろした場合と私が「ほら!」と誰かに見せた場合のみはげがばれる状態である。

精神がやられてはげになったら絶望的だけど、この火の粉をかぶってのはげというのはまだネタになるからいいことにしよう、と言い聞かせている。ただはげになったのはつらいので、いちいち人に「花火でやけどして今はげてるねん」と報告することにしている。

みなさんも、くれぐれも花火にはお気をつけください。

2016/05/05

手紙の話。

3週間ぶりに職場に戻ると、机の上に薄くほこりがたまり全体的にざらついていた。その上に桜模様の封筒がポンとおかれていた。日本からの手紙である。

手にとって宛先を見ると、おお、見覚えのある字が。差出人を見て、おお、やっぱりと思わずにやりとした。3週間の日本滞在の時に会ったのに全然手紙のことは口に出さなかったことに「ふっ」、となったのだ。書いた日の日付を見ると今年の1月となっている。3か月も前だから、もしかしたらもうとっくについたものと思っていたのかもしれないし、出したことを忘れているのかもしれない。

日本でも何通か手紙を受け取った。私の帰国に合わせて荷物を送ってくれていた友だちもいるし、本当に粋なことをしてくれるんだから。

時は平成。西暦で言うと2016年である。それなのに絶好調でふみを送りあっている。インターネットがあるけれど、やっぱり手紙は送るのももらうのもいいものだと思う。

私は手紙を書くのが好きなくせに、実をいうと本人のもとに届くときには何を書いたのか忘れていることが結構ある。

「犬の話おもしろかったわ~!空腹の話も!!」

と言われても、やべえ、全然心当たりがない……といった具合で、つまり私の手紙には内容がないことが多いのだ。反対に友だちから来た手紙の内容がなくても私は一向に構わないと思う。長い時間をかけていつ届くかもわからないようなものに、特に伝えたいこともなく送りあうなんて最高に贅沢だなぁ、と思う。

この間、友だちとラインで話していたの時に(そう、iPodを持っているのでラインとかも使っているのです。)、「手紙」談義になった。「届いたで」「ありがとう」から始まったその会話の中で、我々は手紙の本質に気づいてしまった。

途中でいきなり友だちが持統天皇の和歌を送ってきた。

「春すぎて 夏来にけらし 白妙の
衣ほすてふ 天の香具山」
(もう春は過ぎ去り、いつの間にか夏が来てしまったようですね。香具山には、あんなにたくさんの真っ白な着物が干されているのですから。)

これが送られてきて、文面だけを理解したのだとしたら「え?だから何?」である。話し言葉に直すと「春やったのに、気がついたらなんかめっちゃ洗濯もん干してあって知らん間に夏になったねんなぁ、って気づいてん!!」というているだけなのだ。受け取った側が額面だけを読んだら「え?なんなん?」だが、そこにその和歌に費やされた時間はすなわち、受け取る人のことを想った時間と気持ちに相当すると思う。届けたかったのはもはやこの和歌ではないと思う。

和歌はまぁ、必ずしも誰かに充てて読まれるものではないかもしれないけど、その情景を描写しようと思ったのは、記録したい、伝えたい、共有したいという気持ちもあったんではないかと思うと、昔の人も現代人もやってることは大して変わらないんだな、と思う。だから、資料が残っているとすれば、あほみたいな手紙なんか山ほど出てきて、それを公開されようものならもはや公開処刑に値するくらい恥ずかしいものもあるだろうと想像する。

でもそう、手紙を書きたくなる人っているものなのだ。誰でも彼でも書き送りつけているのではなく、ふと手紙を書きたい気分になるときがあって、アドレス帳を開いて住所を見ながら、名前を見ながら、ああ、この人、という人がその時々でいるものなのだ。

一緒に居られない時間を人間観察をしているふりをしてどうにか共有できないかと文字にしてみる。何日間にわたっている手紙もある。ある日はたった2行しか書かず、ある日はまた5行だけ書いてみたり。携帯のメッセージでは出せない空気感というか、良さがそこにあると思う。知らせたいこともないくせに、書かれた手紙ほど、もしかすると一番想いがこもっているのかもしれない。書くことがない、でも手紙を送りたいという気持ちが先行して机に向かって時間を過ごしているのだから。

手紙の本質、それは相手のために費やした時間と、想った気持ちに他ならない、と友だちと私は結論づいた。だからどうか、変な手紙が届いても「だから何が言いたかったんやろう?!」と思わないでほしい。そういう疑問を持つこと自体がナンセンスだと思う。そしてたぶん、そういう風に思う人には私とて手紙は送りつけていないはずだ。

2016/04/30

Oaxaca vol.3

4月ももう終わりである。その4月を私は日本で過ごした。

年末に休みが取れなかった代わりに職場がわりに閑散期に当たる4月の休みをもらうことに成功したのだ。私が今回の休みを4月に執着した理由の一つは、大学の時からの友だちがこの春新しいことにチャレンジすることになっていた。仕事を辞めて、海外に行くというのである。心から喜ばしく、できれば彼女が旅立つ前に日本で会いたいと思っていた。

そして、それが実現することが決まったのとほぼ同時に

「久しぶりに一緒に旅せぇへん??」

と声をかけた。返事は二つ返事でOK。相変わらずフットワークの軽い人だな、と感心する。行き先は検討を重ねた結果「台湾」。理由は、①行ったことがない②食べ物がおいしいらしい③私の貯まったマイルで行ける範囲である、という3点である。

そう、メヒコと日本を何度か飛んでいるうちに国内、もしくは近場のアジアを飛べるだけのマイルがたまっていたのである。マイル旅行もなかなか制限があるので、検索に検索を重ねた結果、INとOUTの場所が違う方がいい日程を組めるということになり、台湾南部の高雄入りして国内を自分たちで移動して最後は台湾北部の台北から出国するということになった。

同じ便はうまく都合がつけられなかったので、現地集合である。1時間ずつずれての出発に「何それ?!」と母親は笑っていた。

台湾の感想を単刀直入に言うと、「めっちゃええ」である。なぜ今まで行ったことがなかったのかが不思議になるくらいに気に入ってしまった。うわさ通り、食べ物がめちゃくちゃおいしい。そして、何より特筆したいのが人が素晴らしくやさしいということである。

台湾にはかつて日本統治時代があったが、人々の親日感情は極めて高いことに驚いた。年齢の高い人はきれいな日本語を話す人もたくさんいた。若い人たちも日本への関心が高く、簡単な日本語なら話せるという人がとても多いと感じた。セブンイレブンやファミリーマートといったコンビニも街の中に点在し、売られているものは日本と同じものも多く、日本語で表記された商品もたくさんあって「日本やん!!」と叫びそうになった。

そのくせ、私たちは台湾語を全く話せないので言語によるコミュニケーションは無残なものだった。コンビニでコーヒーを買おうものなら、物差しでボードを指して注文できたとほっとしているとまだ何か聞かれていて、それがわからない。しばらくジェスチャーでやりとりをしてようやく分かったのだが、ホットかアイスか聞かれていたのだ。最終的に「熱」とノートに漢字を書いて伝える、この筆談が台湾における最大の武器だった。

この「何を言っているのか全く分からない」という感覚を味わったのは久しぶりで、めちゃくちゃおもしろかった。おもしろいくらいにわからないのである。自分の無力さとバカさを突き付けられているのに、なぜか気持ちはわくわくしていく一方なのだ。昔から、「私みたいなものは困ればいい」と思っていた(誤解の無いように付け加えておくが、「困ればいい」と思ったのは、初めて海外に行って言葉が通じなくて困った経験をした後に、日本に戻ってきて、しばらくいなかったはずなのに何も不自由なくやり過ごすことができた時に「こんなにスムーズに進んでしまっていいのか?!もっと困った方がいいのでは?!」と思ったことによる考え方である。)

「わからない!!伝えたい!!」

嬉々として、俄然コミュニケーションをとりたくなる。変態かもしれない。しかし、この「困っている」感じが好きなのだ。身近なレベルでの、「生」を感じられるからかもしれない。そんなややこしい私たちにいやな顔をするでもなく、本当にどの人もやさしくしてくれた。店の人も、街の人も。

「これ買ってくかい?」

と、押し売りかと思い「もう買ったからいい」というと「気を付けていい旅をね」という言葉をかけてくれた時には「やっぱりもう一袋買えばよかったやんか~~」と軽い罪悪感を感じてしまったくらいのピュアなやさしさなのである。

台湾から帰った後に「台湾最高~!」と連呼しまくっていた単純な私ですが、この台湾旅を通して気付いたことは、「やっぱり私は旅が好きだ」ということだ。もはやガイドブックすら持って行かなかったし(宿泊先などでだいたいの地元の情報は収集できるだろう、という見込みの上で。)、何をしているかというと、その辺をぷらぷら気の向くまま歩いているだけなのだが、それがたまらなく好きだ。歩いていると、行動範囲は本当に狭い。でも歩くスピードなので飛び込んでくる景色がゆっくりで、奥行きがある。というか、奥へ奥へ歩いていきたい衝動が湧きあがってくる。そして、疑問がぽつりぽつりと浮かぶ。


  • この派手なお寺はなんなんだろう?(のちに調べて、道教のお寺ということが判明。)
  • だいたい外で午前中や昼からボードゲームに講じているのはおっちゃんばっかり(どの国も)だけど、それはなんでなんだ?
  • もし統治時代がなかったら、今の台湾は違っていただろうか?


ああ、世の中知らんことばっかり、ということを知る。そして、目が行くのは人々の日常である。美しいなぁ、としみじみとしたのは午前10時半くらいの仕込みの風景である。小さな路地裏を歩いていると、店の入口と反対側の路地で店員(あるいは家族)総動員で仕込みをしていた。魚をひたすらさばくおっちゃん、野菜をひたすらゆでては水でしめるお兄ちゃん。その動きには全然無駄がなくて、流れるような動作にはつい見入ってしまい足が止まった。この仕込みで準備された食材がお昼時には流れるように調理されて人々の前に出されるのだなと想像すると、彼らの日常をすごく近くで目撃した気持ちになった。その実、私自身は全然そこには溶け込んでいなくて、ただの見ている人として存在しているだけなのだが。

初めて目にする流れゆく景色を、そこに属していない者として第三者的に眺めるという、つまり、非日常の中に自分を置くというこの作業をたまにしてやるのはやっぱり精神衛生上いいと思う。日々にすぐに溺れそうになる私は特に必要なのかもしれない。そして、その旅はミーハーじゃないところがポイントである。

さて、日本に帰ってからはメヒコ展を開催させてもらい、たくさんの友だちやお客さんに足を運んでもらい、1日で会いたかった人たちに立て続けに会うことができて感無量。そして、どれだけメヒコのことを話してもいいというこの甘やかされた状況、……の中で台湾を熱弁する私。ここ数年で友だちの周りも随分と変化した。結婚した友だち、子どもがいる友だち。それでも都合をつけて足を運んでくれて、そういう変わらぬやさしさというかその子たちの変わらぬ部分を見ると、なんだかグッとくるものがあった。

日本滞在最終週にお母さんとスーパーに買い物に行ったら、駐車場の横の桜の木がすっかり葉桜になっていた。そのスーパーには帰国してから2日後くらいに行ったのだが、その頃には桜が満開で、風が吹くとひらひらとピンクの花びらが舞う様子がきれいだった。

たった3週間である。

こんなにも季節の変わりゆくさまを目で感じたことがここ数年であっただろうか、というくらいにはっとした瞬間だった。車を運転しながら、やけに緑がまぶしいなぁ、と思っていた。駐車場に着くと、そこに桜の花はなかった。

めいっことも1年半ぶりくらいに再会した。前に会ったときは歩けるようになったくらいだったのが、今は会話ができるくらいにおしゃべり上手になっていた。一著前に「○○やで~」と関西弁で話しているのを見て、子どもってこんなにも早く成長するんだな、とここでもまた流れていく時間の速さを感じた。

時間は流れている。しかも、とんでもない速さで。

これを意識した瞬間、私のオアハカへ戻ってからの目標というか大切にしたいことが見えた気がした。それは、

「生活を大切にしたい」

ということである。旅をすることにあこがれて、旅を熱望した今よりも若い時、旅をしていく中でうわべでその国を見るだけではなく、そこに暮らしてみたいと思ったそれから。実際に住んでみて、暮らしを続ける中で、今度は「生活」という一番身近で、全ての基礎になるところを大切に過ごしてみたいと思ったのだ。あほみたいだが、ようやくそこに目が向けられそうだと思った。

私はすごく偏っている。好きなものしか興味がわかないし、日常では好きなところばっかりに行く。たとえば大阪。スタンダードブックストアが大好きだ。今回も大阪にいってしたことといえば、おばあちゃんちに行って、スタンダードブックストアを訪れて3~4時間本屋とそのカフェをうろうろしただけである。その時に手にした本が星野源の「そして生活はつづく」という本である。突然だが私は星野源が好きである。入りは、「地獄でなぜ悪い」という歌のビデオを見たところである。それ以来、出演している映画を観たり、バナナマンのラジオで日村さんバースデーソングシリーズなどをうたっていることを知ったりして笑いのセンスと変態具合にぐっときたわけで、以来、すっかり好きなのである。話がそれたが、その本の中にこんなフレーズがある。

「あんた、生活嫌いだからね。」

星野源が母親に言われたセリフである。そうか、私もそのタイプの人間なのかもしれない。生活がなんというか、苦手。「ていねいな暮らし」を心がけようとしていたけど、その前の「生活」をすっ飛ばしていたのではそんなもの、できるわけがない。馬鹿者!!

あれもしたいこれもしたいと欲深い私ではあるが、オアハカ生活vol.3はまずは生活を大切にしようではないか。今更気がついたけど、気がつかなかったよりはましなはず、とスーパープラス思考で、開き直って。

旅を経て、暮らしを経て、ここへきて生活を見つめようと思う。みんなはそんなことを遠の昔に気がついて、どんどん階段を上っていたのだな。それに気づかせてくれた今回の日本はものすごくターニングポイント的なものになった気がする。季節が一番駆け足になる4月だからこそ、自分が置いてきぼりを食らっている感じがものすごくしたのかもしれない。いや、置いてきぼりを食らっているのではなく、過ぎゆく時間のスピードが見えていなかったのだ、きっと。季節や子どもがそれを可視化してくれたから運よく見ることができたのだ、今回は。「生活」の先に「暮らし」があり、「暮らし」の先に旅があるのだから、旅を楽しめて生活を楽しめないのはただの現実逃避野郎じゃないか。

今までがこんな状態なので劇的な変化は難しいかもしれない。でも、思い立ったからには生活を見直そうじゃないか、楽しみたいじゃないか。しかも、生活しながらあたかも旅をしているような視点も持てたら最高。(こういうところは、よくばり。)

ということで忘れないように、備忘録。