Oaxaca vol.3

4月ももう終わりである。その4月を私は日本で過ごした。

年末に休みが取れなかった代わりに職場がわりに閑散期に当たる4月の休みをもらうことに成功したのだ。私が今回の休みを4月に執着した理由の一つは、大学の時からの友だちがこの春新しいことにチャレンジすることになっていた。仕事を辞めて、海外に行くというのである。心から喜ばしく、できれば彼女が旅立つ前に日本で会いたいと思っていた。

そして、それが実現することが決まったのとほぼ同時に

「久しぶりに一緒に旅せぇへん??」

と声をかけた。返事は二つ返事でOK。相変わらずフットワークの軽い人だな、と感心する。行き先は検討を重ねた結果「台湾」。理由は、①行ったことがない②食べ物がおいしいらしい③私の貯まったマイルで行ける範囲である、という3点である。

そう、メヒコと日本を何度か飛んでいるうちに国内、もしくは近場のアジアを飛べるだけのマイルがたまっていたのである。マイル旅行もなかなか制限があるので、検索に検索を重ねた結果、INとOUTの場所が違う方がいい日程を組めるということになり、台湾南部の高雄入りして国内を自分たちで移動して最後は台湾北部の台北から出国するということになった。

同じ便はうまく都合がつけられなかったので、現地集合である。1時間ずつずれての出発に「何それ?!」と母親は笑っていた。

台湾の感想を単刀直入に言うと、「めっちゃええ」である。なぜ今まで行ったことがなかったのかが不思議になるくらいに気に入ってしまった。うわさ通り、食べ物がめちゃくちゃおいしい。そして、何より特筆したいのが人が素晴らしくやさしいということである。

台湾にはかつて日本統治時代があったが、人々の親日感情は極めて高いことに驚いた。年齢の高い人はきれいな日本語を話す人もたくさんいた。若い人たちも日本への関心が高く、簡単な日本語なら話せるという人がとても多いと感じた。セブンイレブンやファミリーマートといったコンビニも街の中に点在し、売られているものは日本と同じものも多く、日本語で表記された商品もたくさんあって「日本やん!!」と叫びそうになった。

そのくせ、私たちは台湾語を全く話せないので言語によるコミュニケーションは無残なものだった。コンビニでコーヒーを買おうものなら、物差しでボードを指して注文できたとほっとしているとまだ何か聞かれていて、それがわからない。しばらくジェスチャーでやりとりをしてようやく分かったのだが、ホットかアイスか聞かれていたのだ。最終的に「熱」とノートに漢字を書いて伝える、この筆談が台湾における最大の武器だった。

この「何を言っているのか全く分からない」という感覚を味わったのは久しぶりで、めちゃくちゃおもしろかった。おもしろいくらいにわからないのである。自分の無力さとバカさを突き付けられているのに、なぜか気持ちはわくわくしていく一方なのだ。昔から、「私みたいなものは困ればいい」と思っていた(誤解の無いように付け加えておくが、「困ればいい」と思ったのは、初めて海外に行って言葉が通じなくて困った経験をした後に、日本に戻ってきて、しばらくいなかったはずなのに何も不自由なくやり過ごすことができた時に「こんなにスムーズに進んでしまっていいのか?!もっと困った方がいいのでは?!」と思ったことによる考え方である。)

「わからない!!伝えたい!!」

嬉々として、俄然コミュニケーションをとりたくなる。変態かもしれない。しかし、この「困っている」感じが好きなのだ。身近なレベルでの、「生」を感じられるからかもしれない。そんなややこしい私たちにいやな顔をするでもなく、本当にどの人もやさしくしてくれた。店の人も、街の人も。

「これ買ってくかい?」

と、押し売りかと思い「もう買ったからいい」というと「気を付けていい旅をね」という言葉をかけてくれた時には「やっぱりもう一袋買えばよかったやんか~~」と軽い罪悪感を感じてしまったくらいのピュアなやさしさなのである。

台湾から帰った後に「台湾最高~!」と連呼しまくっていた単純な私ですが、この台湾旅を通して気付いたことは、「やっぱり私は旅が好きだ」ということだ。もはやガイドブックすら持って行かなかったし(宿泊先などでだいたいの地元の情報は収集できるだろう、という見込みの上で。)、何をしているかというと、その辺をぷらぷら気の向くまま歩いているだけなのだが、それがたまらなく好きだ。歩いていると、行動範囲は本当に狭い。でも歩くスピードなので飛び込んでくる景色がゆっくりで、奥行きがある。というか、奥へ奥へ歩いていきたい衝動が湧きあがってくる。そして、疑問がぽつりぽつりと浮かぶ。


  • この派手なお寺はなんなんだろう?(のちに調べて、道教のお寺ということが判明。)
  • だいたい外で午前中や昼からボードゲームに講じているのはおっちゃんばっかり(どの国も)だけど、それはなんでなんだ?
  • もし統治時代がなかったら、今の台湾は違っていただろうか?


ああ、世の中知らんことばっかり、ということを知る。そして、目が行くのは人々の日常である。美しいなぁ、としみじみとしたのは午前10時半くらいの仕込みの風景である。小さな路地裏を歩いていると、店の入口と反対側の路地で店員(あるいは家族)総動員で仕込みをしていた。魚をひたすらさばくおっちゃん、野菜をひたすらゆでては水でしめるお兄ちゃん。その動きには全然無駄がなくて、流れるような動作にはつい見入ってしまい足が止まった。この仕込みで準備された食材がお昼時には流れるように調理されて人々の前に出されるのだなと想像すると、彼らの日常をすごく近くで目撃した気持ちになった。その実、私自身は全然そこには溶け込んでいなくて、ただの見ている人として存在しているだけなのだが。

初めて目にする流れゆく景色を、そこに属していない者として第三者的に眺めるという、つまり、非日常の中に自分を置くというこの作業をたまにしてやるのはやっぱり精神衛生上いいと思う。日々にすぐに溺れそうになる私は特に必要なのかもしれない。そして、その旅はミーハーじゃないところがポイントである。

さて、日本に帰ってからはメヒコ展を開催させてもらい、たくさんの友だちやお客さんに足を運んでもらい、1日で会いたかった人たちに立て続けに会うことができて感無量。そして、どれだけメヒコのことを話してもいいというこの甘やかされた状況、……の中で台湾を熱弁する私。ここ数年で友だちの周りも随分と変化した。結婚した友だち、子どもがいる友だち。それでも都合をつけて足を運んでくれて、そういう変わらぬやさしさというかその子たちの変わらぬ部分を見ると、なんだかグッとくるものがあった。

日本滞在最終週にお母さんとスーパーに買い物に行ったら、駐車場の横の桜の木がすっかり葉桜になっていた。そのスーパーには帰国してから2日後くらいに行ったのだが、その頃には桜が満開で、風が吹くとひらひらとピンクの花びらが舞う様子がきれいだった。

たった3週間である。

こんなにも季節の変わりゆくさまを目で感じたことがここ数年であっただろうか、というくらいにはっとした瞬間だった。車を運転しながら、やけに緑がまぶしいなぁ、と思っていた。駐車場に着くと、そこに桜の花はなかった。

めいっことも1年半ぶりくらいに再会した。前に会ったときは歩けるようになったくらいだったのが、今は会話ができるくらいにおしゃべり上手になっていた。一著前に「○○やで~」と関西弁で話しているのを見て、子どもってこんなにも早く成長するんだな、とここでもまた流れていく時間の速さを感じた。

時間は流れている。しかも、とんでもない速さで。

これを意識した瞬間、私のオアハカへ戻ってからの目標というか大切にしたいことが見えた気がした。それは、

「生活を大切にしたい」

ということである。旅をすることにあこがれて、旅を熱望した今よりも若い時、旅をしていく中でうわべでその国を見るだけではなく、そこに暮らしてみたいと思ったそれから。実際に住んでみて、暮らしを続ける中で、今度は「生活」という一番身近で、全ての基礎になるところを大切に過ごしてみたいと思ったのだ。あほみたいだが、ようやくそこに目が向けられそうだと思った。

私はすごく偏っている。好きなものしか興味がわかないし、日常では好きなところばっかりに行く。たとえば大阪。スタンダードブックストアが大好きだ。今回も大阪にいってしたことといえば、おばあちゃんちに行って、スタンダードブックストアを訪れて3~4時間本屋とそのカフェをうろうろしただけである。その時に手にした本が星野源の「そして生活はつづく」という本である。突然だが私は星野源が好きである。入りは、「地獄でなぜ悪い」という歌のビデオを見たところである。それ以来、出演している映画を観たり、バナナマンのラジオで日村さんバースデーソングシリーズなどをうたっていることを知ったりして笑いのセンスと変態具合にぐっときたわけで、以来、すっかり好きなのである。話がそれたが、その本の中にこんなフレーズがある。

「あんた、生活嫌いだからね。」

星野源が母親に言われたセリフである。そうか、私もそのタイプの人間なのかもしれない。生活がなんというか、苦手。「ていねいな暮らし」を心がけようとしていたけど、その前の「生活」をすっ飛ばしていたのではそんなもの、できるわけがない。馬鹿者!!

あれもしたいこれもしたいと欲深い私ではあるが、オアハカ生活vol.3はまずは生活を大切にしようではないか。今更気がついたけど、気がつかなかったよりはましなはず、とスーパープラス思考で、開き直って。

旅を経て、暮らしを経て、ここへきて生活を見つめようと思う。みんなはそんなことを遠の昔に気がついて、どんどん階段を上っていたのだな。それに気づかせてくれた今回の日本はものすごくターニングポイント的なものになった気がする。季節が一番駆け足になる4月だからこそ、自分が置いてきぼりを食らっている感じがものすごくしたのかもしれない。いや、置いてきぼりを食らっているのではなく、過ぎゆく時間のスピードが見えていなかったのだ、きっと。季節や子どもがそれを可視化してくれたから運よく見ることができたのだ、今回は。「生活」の先に「暮らし」があり、「暮らし」の先に旅があるのだから、旅を楽しめて生活を楽しめないのはただの現実逃避野郎じゃないか。

今までがこんな状態なので劇的な変化は難しいかもしれない。でも、思い立ったからには生活を見直そうじゃないか、楽しみたいじゃないか。しかも、生活しながらあたかも旅をしているような視点も持てたら最高。(こういうところは、よくばり。)

ということで忘れないように、備忘録。

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