ライフライン、電気・ガス・水道

定期的に訪れる様々な問題、例えばガス切れ、例えば停電、例えば熱いお湯が出ないなど、メヒコは、ライフラインがもろいなとよく感じる。そして、そのたびにたくましく乗り越え、サバイバル力をアップさせているメヒコの暮らしである。こんな話を書くたびに、「生活を大切にしたい」というあの決意が何の冗談かと思えてくる。悲しい。この一言に尽きる。

さて、今回のライフラインの喪失は「水道」である。

この間、やけに水があふれていると思ったら、水道使用量をはかるメーターの部分が盗まれたらしい。その部分がないと水が供給されないらしく、今新しく買い替えているとのこと。買い換えた後装着しても水がすぐに戻ってくるかどうかはわからない、と何とも不可解な説明を受けたが、最後に付け加えられたのは、

「だから、週末は水を極力大事に使ってほしい」

とのことだった。その教えを守りながら週末を過ごしたけど、日曜日の朝には水が出なくなってしまった。地下に貯蓄してあるので、汲みあげポンプのボタンを押しに行ったが、すぐに大家さんが下りてきて汲みあげる水がないからやめてくれとのこと。

そして、水が回復しないまま週末が過ぎ、汚い髪の毛で迎えた新しい月曜日。大家さんからは音沙汰がないのでこちらから様子を聞いておこうと思いメールをすると、いろいろな説明のメールが届き、大事なところだけ言うと、

「水曜日までは水が回復しない」

という。まじで言ってんのか。

てんこ盛りの洗い物と洗濯物が頭をよぎり、そして何より心配になったのは風呂のこと。そして、昨日は水が止まってからは近くの図書館までトイレを借りに行ったりしてしのいでいたけど、これから数日間ずっとそれを続けるのは不可能である。

今まで、電気がなくなったりガスがなくなったりするたびに「不便さ」を痛感していたけど、今回はライフラインのどれが一番堪えるかということについて考えさせられた。

今なら「水」と即答できる。

本当に人の生活は水に頼って成り立っているんだなぁ、というのを痛感した。あったかいお湯がないどころの話ではない。

電気がなければろうそくをたくなり、早く寝ればいい。ガスがなければ外に食べてすませばいい。でも、水がなくなったら人はこんなにも困るのだな、という当たり前のことを身をもって実感した。

大家さんの仕事のオフィスが道路を挟んだ向かいにあり、大家さんは「そこで体を洗ったらいい」と言ってくれたので甘えることにしたが、いざ行ってみるといわゆるバニョ(トイレ)に案内された。

きれいに掃除されてあるとはいえ、ば、ばにょですやん!!!

シャワーも何もない便器があって、大きめのシンクがある、いわゆるトイレである。え?!と二度見したけど、これが今日のバニョである。もちろんお湯など出るわけもなく、バケツに水をためて使うのである。

トイレで水風呂か……。

もはや寒いとか冷たいとか言っている場合ではなく、それよりも水で体の汚れを洗い流せたことが本当に気持ちいいなあと感じた。

蛇口をひねれば飲むことができるようなきれいな水がものすごい水圧で出てくる日本、もはや奇跡。温度調節もボタンでピピピっとできてしまうなんて、夢のまた夢の話。

家の風呂がだめになったり入れなくなっても「銭湯がある」という日本の安心感。あらためて、水の豊富な国なのだなぁと思い知った。そして、家の中の水を確保するために、バケツに水を汲んで家とオフィスを何往復もしてすっかり疲れてしまった。

いろんなものを失ってはじめて、持っているものの大切や価値を心の底から大事なと感じるけど、今回の水は本当にありがたさを心の底から感じている。

大家さんは「水曜日には」とか言っているけど、ひそかに今週一週間くらいは明間まなんちゃうか……と怪しんでいる。

嗚呼、メヒコ。どうしてお前はそうなのだ。

コメント